自分の旗を立ててみる〜僕の夢の話〜

どうも!堤です。また間が開いてしまいました^^;

今回は、「自分の夢」というものに関して書いてみたいと思います。というのも、最近自分のやりたいことに関して他の人に「直接」話す機会は多くあったのですが、「文字」にしていなかったからです。文字にすると色々気づくことが多いので毎回必ずやっていたのですが…まあめんどくさかっただけです(; ・`д・´)(笑)

今回も超大作になる予定。ただ、この記事を読んでもらえれば自分がどのような考えを持っている人間なのかわかるような、そんな記事を書こうと思っています。







これは、「支援活動に『デザイン』という力をプラスすることで、より多くの人へ強い想いを届けることができるはず」という思いのもと作られたサイトDesign For Japan 『いま、デザインが日本のためにできること』からの画像。前の日記(これまでの2週間、これからの2年間、そして将来【東日本大震災】)にも書いたように、震災は僕の人生に大きく影響し、また人生の目標を僕に与えた。それについては、これから書いていきまする。







まず、このような夢を持つようになった経緯として、大学一年での経験が大きく影響しているので、それについてつらつらと。

浪人時代を経て(「行く年来る年〜浪人時代篇〜 」参照!)、僕は明治大学一年生になった。もっと上の大学を目指していたから当然気持ちはブルー。学歴コンプレックスの塊だった。

それがよくわかるのが以下の記述。これは、キャリアシートと呼ばれるもので、入学当初どのような大学生活を思い描いているかを調査する為のもの。つい先日返却されたので、改めて見返してみた。

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1.あなたが明治政経に入学を決めたわけは?
→他の大学に受からなかったから

2.どんな学問を学びたいですか?
→・経済・法・政治…社会の根幹を形成する学問であり、また社会人として生きていく上で必要だから。
 ・心理…他者との関わりの中で生きてくると考えるから
 ・地理…高校時代から興味があり、また市場立地論など経済学ともつながる部分があるから

3.在学中にどんなスキルを身につけたいですか?
就活時に困らないだけの能力・資格
TOEIC高得点、社会情勢(政治・経済など)の分析力、社交性、あらゆる状況で対応できる柔軟性)

4.大学在学中に成し遂げたいことは?
→【勉学】履修科目すべて好成績
 【学習以外】特に無し
 【目標達成へのプロセス】予復習の徹底

5.大学卒業後は?
→就職(金融業)

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…(;・∀・)
学歴コンプレックスの塊だったことがよくわかる。「他の大学に受からなかったから」って…(汗)

そんな僕でも一応大学でやろうと思っていたことがあった。というわけで、バレーボールサークルに入ることにした。バレーボールは結構好きだった。元々サッカー部だったけれど、周りから「バレーボールのほうが得意なんじゃない?」と言われるほどバレーボールが得意だった。…はいウソつきましたーサッカーが下手だっただけです(汗)

その当時、僕は大学生と言ったら「サークル」と「彼女」と「勉強」だと思っていた。そして、就活ではそこそこの企業に入って、奥さんと子供と何不自由のないごくごく普通の生活を送っていこうと思っていた。普通の生活。それ以外は特に考えていなかった。

そのサークルが嫌になったのは、飲み会の時だった。多くの体育会系サークルがそうであるように、飲み会はコールの嵐だった。合宿に行ったとしても、ロクに練習もせずに飲んでばかり。

自分は元々お酒が飲めない(今でも飲み会ではお酒は飲みません。じゃないと10分で寝てしまう)うえに、自分には「大学では真面目に何か一つのものに取り組んでいこう」という思いがあった。高校時代あまりサッカーに対して真摯に向き合っていなかったことを悔やんでいた自分にとって、大学のバレーボールはそのリベンジにあたるようなものだった。それがただの飲みサーだったとは…正直、どうしていいのか分からなくなった。そんな5月の始まり。リアルに5月病になりそうだった。


そんな僕にも転機が訪れた。それは、同じクラスで、今や親友となったある友人([twitter:@Kazu_0531])のmixiの日記だった。

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2010年05月13日02:02 

昨日の渉外は、クソ面白かった
見学予定だったのに、自分の出した提案書案が採用されて説明することに当日の朝決まるww
でも、企業に自分の農業に対する考え方ぶつけれた(´ω`)b
それなりのリアクションももらえたから満足
今度は自分で渉外取ってレイズしてやる
目指せスターレイザー
<中略>
お金が底を尽きる
合宿代とか飲み代がいっぺんにくると大打撃..
節約+バイトしなきゃ..
と言いながら次の日曜はチャイナ新歓に参加します
AIESECの活動が今の大学生活を充実させてる要因
特に関東の各大学には色んな人間いて、それぞれ個性あって面白い(´∀`)
お金ないけど、人との出会いにはお金を惜しみたくない
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渉外?企業に考えをぶつける?他の大学の人と交流?AIESEC?

これまで一度も考えたことの無かった言葉だらけだった。これまでに感じたことのない感覚だった。これだ。きっとこのサークルなら大学生活を充実したものにしてくれるに違いない。

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アイセック興味ある!活動日時や場所等の詳細キボンヌ(^q^)
まぁこの時期だし、入れなかったら諦めますorz
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僕は一度もクラスで話したことのないその友人にmixi上で情報を聞き、そしてAIESECに入った。

AIESECがなんであるのかは正直言葉では伝えにくいけれど(僕自身、本当にアイセックの良さを理解しているのかは正直分からない)、簡単に言うならば

・海外インターンシップインターンシップ - Wikipediaを海外の企業で行うもの)を学生が運営している
世界110カ国支部がある、世界最大の学生団体

といった感じ。ちなみに、ここでの活動で得られたこと。

・真剣に議論することの楽しさ
・合宿で寝ずに議論できる仲間
・海外に対する興味・関心
・自分の考えを持つことの重要性

もっとあるけれど、とりあえずこれだけでも。正直これ以上は活動していかないと分からない部分が多い。言葉では伝えられない良さがある。





11月まで、僕はAIESEC一筋で、他の機会には特に飛び込まずに過ごしていた。渉外も多少は取れるようになってきていた。そこでまた一つの転機が訪れたOneforallという、一年生限定のイベントだった。

それまでは、僕はどこか「AIESECが全てで、他の活動は自分には関係がない」と考えている節があった。だから、このイベントにも特に良く必要は無いんじゃないか?と思っていた。AIESEC自体が大きすぎるが故に、どこか視野が狭くなっていた。

そのイベントは自分にとってはかなり刺激的だった!全然違う方法で、自分のやりたいことをやっている人がいる。起業したいと考える学生がいれば、勉強を究めようとする学生もいた。このような学生はAIESECの中では少数派で、自分自身そのときまでは会ったことがなかった。「AIESECだけが大学生活ではない」こういった気付きが、自分に物事をもっと中立的に、そして視野を広く保つことの重要性を教えてくれた。



その結果、僕は以前よりも積極的にイベントに参加するようになっていったビジネスコンテストや講演会に積極的に応募した。まだまだ自分が知らない世界がある。その世界を少しづづ無くしていくことが目標になり、また新しい世界に触れることが楽しかった。

このようなイベントを調べる上で活用したのはTwitterだった。このツールを使えば、知らないうちに情報が向こうから入ってくる。これがソーシャルメディアに興味を持つようになったきっかけだった。この出会いが僕の人生を変えたのかもしれない、それくらいの影響を受けた。






また、そのツイッター上での出会いが僕をソーシャルメディアへ惹きつけることになる。それはFB Student Partners - エフエスピー -との出会いだった。以下説明文。

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Facebook Student Partnersは2010年11月末に設立された首都圏主要大学に通う大学生による大学生のためのFacebookの価値をを普及と活用を目指すプロジェクトチームです。主な活動はFacebookを軸とした各メディアでの情報発信、勉強会・講演会の開催、企業と連携した学生向け就職活動イベントや交流会の開催です。我々はこれらの活動を通して、学生がFacebookの理解と活用により、質の高い情報をシェアし、オープンで豊かな繋がりの構築を支援します。
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twitterの影響でソーシャルメディア全般に興味を持ち始めていた自分は、当然のことながら世界で5億人以上(当時、今は7億人を突破しているそう)が使っているfacebookにも興味をもっていた。また、FSPのイベント開催に伴うメンバー募集の告知文を見る直前に以下のムービーを見ていたことも影響していた。

「よく分からないけれど、なんか可能性を感じる。」ただそれだけだった。

その頃は、「一年だからって上級生には負けたくない」気持ちが強くなり始めた時期だった。(今や年上だろうと年下だろうと誰にも負けたくないと思うようになった笑)また、新しい環境に身を投じることにはもはやためらいを感じなくなっていた。だから、当然一人で応募した。意外にも一年生は僕一人だった。

AIESECはどちらかというと1・2年生が主体となって運営されている団体だ。三年以降は就活やらなんやらで事業に集中できなくなることが一つの要因だった。ただFSPは違った。主体となるのは3年生。あとは2年生が2〜3人と自分。しかもその上級生の経歴が凄かった。ローランド・ベルガー内定者やらマッキンゼーなど4社内定もらっている人やらビジコンに優勝してシリコンバレーに行く人やら…その大半が既に内定を一つは取っているという状態だった。僕の持っていた常識が一つ崩れた。内定は3年の冬にでも貰える人はもらえる。こんなふうに常識が崩れる瞬間が好きだった。

そのように優秀な上級生ばかりに囲まれている中でもがくことは、辛くありながらも楽しかった。AIESECでは同年代から刺激を受けることが多かったが、FSPでは上級生から多くの刺激を受けた。そして、同級生から刺激を受けることとの決定的な違いは「先輩の生き方を越える、という目標を立てられること」だった。

FSPのメンバーとしてFacebook Student Career Forumの運営に携わった。イベントは大成功だった。一時Twitterのトレンドにこのイベントのハッシュタグが載ったほどだ。出演者の方や参加した企業の人からもアンケートで高い評価を受けた。そのような数的評価に頼らずとも、僕はtwitterでイベントに関する評価を知ることができた。大満足だった。

そして、その後打ち上げが行われた。その打ち上げが僕の感じていたものすべてを固めた。

Twitter / @Takeaki Tsutsumi: これがイノベーションの生まれる部屋か。眠くならない。 ..

本当に眠くならなかった。

その打ち上げは六本木にあるメンバーの一人が起業した仲間と一緒に使っている部屋だった。ワンルーム。どこかソーシャル・ネットワーク で見た光景を思い出させるような部屋だった。僕はこの映画が大好きだった。フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)という本もむさぼるようにして読んでいた。僕は完全にfacebookの虜だった。

全員が全員アツく語っていた。その話題はただ一つ。

「ITには可能性がある」

ただ、それだけだ。実際その場には18歳の時に数十億でアプリを企業にバイアウトし、今は起業して「映画を作る」という夢のためにひたすら努力している人がいた。それがその論を後押ししていた。実際、その考えを否定する人はいなかった。

「ネットは無料で全世界に公開されている」
「ネットによって、僕たちは今直ぐにでもあらゆるサービスやアプリを全世界に向けて公開することができる」

それだけで十分だった。インターネットをうまく使えば社会にインパクトを与えられる、すなわち社会を変えられる。そう思った。しかもそれを今すぐにでもできる。魅力的過ぎる。また、facebooktwitterが社会に与えた影響はそれらのツールを使って出会った自分たちが一番良く知っていたし、また良く感じていた。プログラミングを一年前にはじめ、今ではその起業した会社で戦力になっている人にも会った。この時に確信した。「プログラミングをやったら面白いことができる」僕の夢のパーツが集まりつつあった。


FSPの繋がりでfacebook Japanの社長である児玉 太郎さんや副社長である森岡 康一さん([twitter:@morioka51])とfacebook Japanオフィスで議論をしたり、孫正義さんの講演会でITの未来に関する孫さんのアツい講演を聞いたりもしたけれど、それに関してはまた今度。ちょっと長くなり始めてるので割愛。

では本題。僕の夢について。


「人のために大きなことができる人間になりたい」


これが僕の夢。こんな大人になりたい。ただそれだけ。

この夢に最も影響を与えたのは、言うまでもなく今回の東日本大震災だった。「これまでの2週間、これからの2年間、そして将来【東日本大震災】」でも書いたように、僕は今回の震災で「自分の非力さ」をとても感じた。確かに募金もしたし、献血にも行ったし、被災地ボランティアで一週間石巻で活動したりもした。だけれども、結論として「本当に被災地の人の役に立っているのか?」は分からなかった。

この金網の向こうに見える地域に住んでいた人の為に、本当に役立つことができているのか?ずっと自分に問い続けた。そして、答えはいつも「ノー」だった。

何人かの有名人は違った。孫さんを筆頭に、ユニクロの社長の柳井さんやイチローなど多くの著名人が多額の義援金を送った。また、それだけでなく、実際に現地に足を運ぶことを行った人もいた。

僕は今自分ができる小さなことよりも、上記の著名人が行ったようなことができる人になりたいと思った。そちらのほうが被災者の力になると思った。また、そのような行動を起こすことによって民意を動かすこともできるはずだと思った。

また、日本の有事の際だけではなく、海外での災害時にも大きなことができる人間になりたいと思った。海外に向けても行動するためには世界的に有名な人間を目指したほうが得策かもしれない、そう思った。

そのためには大きなことを成し遂げる必要がある。そのためには何をすればいいのか?


そこで浮かんだのはITだった。自分自身の興味にも沿っていて、かつ社会に対してインパクトを与える可能性も秘めている。また、若いうちから成功できる可能性も大いにあった。

ただ、それは相応の努力をすればの話。プログラミングに関しては、若いうちから取り組んでいる人が多く、またその人達が勝ち残っていくイメージがあった。自分が本当に勝ち残っていけるのか?正直あまり自信はない。ただ、それと同時に諦める気もない。それに、失敗したならばまた別の方向で挑戦するまでだ。別に天才だけが勝ち残っていける世界ではない。挑戦することのない平和な人生よりも、僕は失敗を経ながら挑戦し続ける人生を歩みたい。そして、成功を掴みとりたい。

挑戦し続ける人生を歩みたいから、僕は日本的な企業には就職恐らく就職しない。もっと自由な空気を持っていて、かつ若い力を有効に使っていける企業、また社会の変化に柔軟についていける企業、そんな企業でまずはキャリアをスタートさせたい。起業するかどうかは正直分からない。自分は「起業してまで変えたい」という思いをまだ持っていないからだ。ただ将来は分からないけれど。

別のテーマとしては「楽しんで挑戦し続ける人生を送る」という目標もある。そのためには日本ではなく海外で生きたほうがいいのかもな…ともたまに思う。どうするかは不明。


だから、この目標を達成するために、自分は来年一年間休学してアメリカに行くつもりだ。西海岸、すなわちシリコンバレーに。ありとあらゆるIT系サービスが生まれている場所。世界中から集まった本当に優秀な起業家たちが凌ぎを削る場所。そんな場所で、「学生」というある意味まだ失敗が許される時代に一度働いてみたい。そして、その空気を感じてみたい。そして、そのあとに人生をどう生きて行くかを決めたいと思っている。専門化する3年生になる前に。幸い自分は海外インターンシップを運営している団体に所属している。確かにTOEIC900以上必要だとか、プログラミングスキルが必須だとか障害は多いけれど、僕はこのような目標を立てることにした。目標を立てなければ努力することはできない。高ければ高い山ほど燃える。

また、それだけでなく、スタンフォードのサマープログラムに参加する計画も立てている。優秀な同年代の学生と繋がれるのも今の特権。これを使っておきたい。できるだけ早いうちに。意味が分からないくらい優秀な学生と会って、自分の未熟さを痛感しておきたい。それが今後のエネルギーになるはず。

結果として、留学と海外インターンシップを同時に行う、という結論になった。やりたいことは我慢せずにやってしまう方が自分には合ってる。前例はあまり無いけれど、それだからこそ面白い。自分で道を作るのは好きだ。敷かれたレールの上を進むのは嫌いだ。

そのために、今は英語の勉強(英語の新聞を毎日2記事以上読む+オーシャンズ13のセリフを覚える<今12回目くらい>)を中心にやっている。ただ、ネットに関してはあまり進んでいないのが現状。これではまずい!ということで、日本のITベンチャーでプログラミング修行をする予定。目標はHTMLからC++あたりまでの取得。全力出す。


また、この計画にはもう一つの隠れた目標がある。それは「『休学』という選択肢を広めることで、留学や海外インターンシップといった海外へ挑戦することを一般化する」ことだ。

自分が休学について考え始めたのは、AIESECでの海外インターンシップに参加しようと考え始めたときからだった。AIESECにはいくつかのインターンシップの形があるが(海外インターンシップポータル|NPO法人アイセック・ジャパン参照)、僕はビジネス系のインターンに参加したいと思っていた。ただ、このインターンシップに参加するためには「半年以上」の期間インターンできることが条件である場合が多かった。必然的に休学を考えることになった。

ただ、休学には問題点があった。それは「多くの私立大学が年間の学費の半額を休学費用として請求していること」だった。(明治の場合は今年度から変わり、通年で16万円になった<去年までは半額>。ただ、これでもまだ高い)そもそも色々な機会に挑戦するためにある休学制度なのに、なぜ学費を払わねばならないのか?日本の「大学時代は4年間」という凝り固まった考え方が透けて見えた。

そんなときに黒川清先生[twitter:@kiyoshikurokawa]の講演を聞いた。ズバリ「休学のススメ」。日本人学生は休学をもっと使って世界へと出ていき、若いうちから世界視点で物語を語れるようになれ!この言葉が自分の胸を打った。このような日本になって欲しいとも思った。ならばどうするべきか。



自分がロールモデルになり、その魅力を多くの人に伝えていければ、この現状は変わっていくのではないだろうか?



これならば自分にだってできる。それに僕は普通の学生だ。そんな僕でも挑戦できることを示せれば、何らかの励みになるかもしれない。

そのために、僕は上記のような目標を立てた。そしてさらに、色々なメディアの有効な使い方も探っている。twitterをはじめとして、facebookページやUstream、そしてニコニコ生放送。どうやればより多くの人にその良さを伝えられるか、そしてどうやればムーブメントを起こせるのか。自身のHPもアメリカ挑戦の広報媒体として必要なので作る予定だ。



やれるやれないに関わらず、挑戦したいと思ったことには挑戦していく。そして夢を叶える。


そういう気持ちでこれからも頑張って行こうと思う。


ちなみに「旗を立てる」というタイトルはイケダハヤトさん([twitter:@IHayato])の講演から。自分の思いを発露してみた。うまく書けていない部分も多いし、正直書き足りない部分があるけど、それは直接僕に聞いてください^^;

とりあえず、これからも努力していこう。


「僕はまだ何も成し遂げてはいない。未来へ。」


ノシ



【7/10追記】

実は計画が変わり、

明治を中退し、アメリカで奨学金がもらえる大学に留学→transferでカリフォルニアのスタンフォードかUCバークレーを目指す→シリコンバレーで就職→アメリカで起業?

というふうになりました。何故そうなったのか?について書いていこうかなと。

実はこの日記を書いた後、アメリカ・シリコンバレーの優良ベンチャーとして有名なQuoraのデザイナーである日本人の上杉周作さん(@chibicode)から直接多くのアドバイスを頂きました。偶然この記事を読んでくれたそう。去る7/8にSFCにて講演をしていた方です。(それについては以下のリンクが参考になるかなと→Togetter - 「2011.07.08 Quora Inc. 上杉周作さん講演@SFC」 上杉周作氏の慶応湘南キャンパスでの講演「もしデザイナー2ヶ月半の若者がデザインの話をしたら」 - djmapetの日記 実名Q&AサイトQuoraデザイナーの講演「もしデザイナー歴2ヶ月半の若者がデザインの話をしたら」 : ついけん)日本に多くの知り合いがいるところを見る限り、恐らく日本人で「何かをしてやろう!」という意思を持った人を積極的に応援している方なんだと思います。『それと、たけあき君みたいな目標を持ってる同い年くらいの人達ってたけあき君のまわりにどれくらいいるんでしょうか。』というコメントからも分かる。嬉しい限り!。゚(゚´Д`゚)゚。

その上杉さんからのアドバイスは、要約すると以下の通り。

・たとえば日本の学生の方がアメリカで就職する場合、アメリカ人や優秀な外国人の方と競争することになる。その場合どうやって自分を差別化するか、が重要になる。アメリカで就職するならば恐らく大企業かスタートアップになるが、大企業は採用にリスクを犯す必要がないから、どこの骨とも分からない人(つまりアメリカ大学トップ50に行かなかった人)は採用しない。スタートアップはリスクを犯して採用すると潰れるから、コネだけで採用する。そのコネは大学などで作られる。

また、

日本の大学→アメリカで就職する場合、日本で技術者か専門家で名を上げて、さらになんとかアメリカにコネがあること(教授を通してとか)、以外は難しい。殆どは日本の大学→アメリカの院に行き、アメリカの院の結果(日本は関係なしに)で採用が決まることが多い。

とのこと。つまり、日本の大学を卒業した後にアメリカ現地起業に就職するのは難しい。「日本で就職→アメリカでMBAアメリカ就職」か、もしくは「自分で起業→アメリカに乗り込む」ことぐらいしか現実的ではないそう。更にビザの問題もあるとのこと。

・殆どの人はこっちに来るのに一番苦労したのは何?と聞かれると「ビザ」と言う。アメリカの大学に行けばなんとかなるのだけれど、そうでない場合は弁護士を雇って物凄いトリッキーな方法でビザを取ってる人とかもいる。俺はビザじゃなくて永住権で住んでるのでそのことはよくわからないけれど、ビザのことについて色々調べてみればいいと思うよ。本当にビザは難しいらしい。

今留学をする際利用しようと考えているプログラム(アメリカ大学留学奨学金留学、アメリカ4年制大学へ奨学金を利用して大学留学)の説明会でも聞いたけれど、就労ビザの取得がかなり難しいらしいです…大学を卒業した後に一年間限定で働けるらしいけれど、それまで。あとは毎年ビザを更新していくしかない。そこで勧められたのが「永住権の取得」でした。これさえあれば働く上での障害がなくなる。

そして決め手は

日本の高校→アメリカの大学学部卒業でこっちで働いている人は結構多いです。それだけ差があります。

という言葉。

話を聞けば聞くほど「日本で働く意義」が分からなくなっていった。そもそも自分の目標は「人のために大きなことができる人間になる」こと。そのために最適なステージはシリコンバレーだと思っている。だからシリコンバレーで成功することが一つのゴールになっている。そこに至るまでの道筋の中で「日本で働いた経験」が持つ意味はなんだろう?僕には見つけられなかった。これから生きていく中で見つけられるのかもしれないけれど、とりあえず今はまだ。

学部を卒業したほうが就職できる可能性が高いのであれば、そちらを目指したほうがいいはず。そもそも明治に通っている意味も見いだせなくなってきている。自分の興味は「コンピューター」にあるのに、所属は「政治経済」。だが、日本で理転するのには障害が多すぎる(教科の問題など)。かつ、就職先は日本企業。アメリカの大学に入り直すのには、英語がとりあえず出来ればいい。あとは大学で死ぬほど勉強するだけ。

また、アメリカでは「単位互換制度」というものがあり、transferが活発に行われているというのを聞いたのも留学に前向きになった理由の一つ。オバマ大統領もそれほど有名でない大学にまずは入り、その後コロンビア大学編入。そして最終的にはハーバードに。最初の大学はあまり高望みしすぎず、まずまアメリカに慣れること。そして、その後にカリフォルニアへ飛べばオーケー。

まずはTOEFL80突破。よし。

There is a will, there is a way.


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