自分の旗を立ててみる〜僕の夢の話〜

どうも!堤です。また間が開いてしまいました^^;

今回は、「自分の夢」というものに関して書いてみたいと思います。というのも、最近自分のやりたいことに関して他の人に「直接」話す機会は多くあったのですが、「文字」にしていなかったからです。文字にすると色々気づくことが多いので毎回必ずやっていたのですが…まあめんどくさかっただけです(; ・`д・´)(笑)

今回も超大作になる予定。ただ、この記事を読んでもらえれば自分がどのような考えを持っている人間なのかわかるような、そんな記事を書こうと思っています。







これは、「支援活動に『デザイン』という力をプラスすることで、より多くの人へ強い想いを届けることができるはず」という思いのもと作られたサイトDesign For Japan 『いま、デザインが日本のためにできること』からの画像。前の日記(これまでの2週間、これからの2年間、そして将来【東日本大震災】)にも書いたように、震災は僕の人生に大きく影響し、また人生の目標を僕に与えた。それについては、これから書いていきまする。







まず、このような夢を持つようになった経緯として、大学一年での経験が大きく影響しているので、それについてつらつらと。

浪人時代を経て(「行く年来る年〜浪人時代篇〜 」参照!)、僕は明治大学一年生になった。もっと上の大学を目指していたから当然気持ちはブルー。学歴コンプレックスの塊だった。

それがよくわかるのが以下の記述。これは、キャリアシートと呼ばれるもので、入学当初どのような大学生活を思い描いているかを調査する為のもの。つい先日返却されたので、改めて見返してみた。

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1.あなたが明治政経に入学を決めたわけは?
→他の大学に受からなかったから

2.どんな学問を学びたいですか?
→・経済・法・政治…社会の根幹を形成する学問であり、また社会人として生きていく上で必要だから。
 ・心理…他者との関わりの中で生きてくると考えるから
 ・地理…高校時代から興味があり、また市場立地論など経済学ともつながる部分があるから

3.在学中にどんなスキルを身につけたいですか?
就活時に困らないだけの能力・資格
TOEIC高得点、社会情勢(政治・経済など)の分析力、社交性、あらゆる状況で対応できる柔軟性)

4.大学在学中に成し遂げたいことは?
→【勉学】履修科目すべて好成績
 【学習以外】特に無し
 【目標達成へのプロセス】予復習の徹底

5.大学卒業後は?
→就職(金融業)

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…(;・∀・)
学歴コンプレックスの塊だったことがよくわかる。「他の大学に受からなかったから」って…(汗)

そんな僕でも一応大学でやろうと思っていたことがあった。というわけで、バレーボールサークルに入ることにした。バレーボールは結構好きだった。元々サッカー部だったけれど、周りから「バレーボールのほうが得意なんじゃない?」と言われるほどバレーボールが得意だった。…はいウソつきましたーサッカーが下手だっただけです(汗)

その当時、僕は大学生と言ったら「サークル」と「彼女」と「勉強」だと思っていた。そして、就活ではそこそこの企業に入って、奥さんと子供と何不自由のないごくごく普通の生活を送っていこうと思っていた。普通の生活。それ以外は特に考えていなかった。

そのサークルが嫌になったのは、飲み会の時だった。多くの体育会系サークルがそうであるように、飲み会はコールの嵐だった。合宿に行ったとしても、ロクに練習もせずに飲んでばかり。

自分は元々お酒が飲めない(今でも飲み会ではお酒は飲みません。じゃないと10分で寝てしまう)うえに、自分には「大学では真面目に何か一つのものに取り組んでいこう」という思いがあった。高校時代あまりサッカーに対して真摯に向き合っていなかったことを悔やんでいた自分にとって、大学のバレーボールはそのリベンジにあたるようなものだった。それがただの飲みサーだったとは…正直、どうしていいのか分からなくなった。そんな5月の始まり。リアルに5月病になりそうだった。


そんな僕にも転機が訪れた。それは、同じクラスで、今や親友となったある友人([twitter:@Kazu_0531])のmixiの日記だった。

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2010年05月13日02:02 

昨日の渉外は、クソ面白かった
見学予定だったのに、自分の出した提案書案が採用されて説明することに当日の朝決まるww
でも、企業に自分の農業に対する考え方ぶつけれた(´ω`)b
それなりのリアクションももらえたから満足
今度は自分で渉外取ってレイズしてやる
目指せスターレイザー
<中略>
お金が底を尽きる
合宿代とか飲み代がいっぺんにくると大打撃..
節約+バイトしなきゃ..
と言いながら次の日曜はチャイナ新歓に参加します
AIESECの活動が今の大学生活を充実させてる要因
特に関東の各大学には色んな人間いて、それぞれ個性あって面白い(´∀`)
お金ないけど、人との出会いにはお金を惜しみたくない
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渉外?企業に考えをぶつける?他の大学の人と交流?AIESEC?

これまで一度も考えたことの無かった言葉だらけだった。これまでに感じたことのない感覚だった。これだ。きっとこのサークルなら大学生活を充実したものにしてくれるに違いない。

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アイセック興味ある!活動日時や場所等の詳細キボンヌ(^q^)
まぁこの時期だし、入れなかったら諦めますorz
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僕は一度もクラスで話したことのないその友人にmixi上で情報を聞き、そしてAIESECに入った。

AIESECがなんであるのかは正直言葉では伝えにくいけれど(僕自身、本当にアイセックの良さを理解しているのかは正直分からない)、簡単に言うならば

・海外インターンシップインターンシップ - Wikipediaを海外の企業で行うもの)を学生が運営している
世界110カ国支部がある、世界最大の学生団体

といった感じ。ちなみに、ここでの活動で得られたこと。

・真剣に議論することの楽しさ
・合宿で寝ずに議論できる仲間
・海外に対する興味・関心
・自分の考えを持つことの重要性

もっとあるけれど、とりあえずこれだけでも。正直これ以上は活動していかないと分からない部分が多い。言葉では伝えられない良さがある。





11月まで、僕はAIESEC一筋で、他の機会には特に飛び込まずに過ごしていた。渉外も多少は取れるようになってきていた。そこでまた一つの転機が訪れたOneforallという、一年生限定のイベントだった。

それまでは、僕はどこか「AIESECが全てで、他の活動は自分には関係がない」と考えている節があった。だから、このイベントにも特に良く必要は無いんじゃないか?と思っていた。AIESEC自体が大きすぎるが故に、どこか視野が狭くなっていた。

そのイベントは自分にとってはかなり刺激的だった!全然違う方法で、自分のやりたいことをやっている人がいる。起業したいと考える学生がいれば、勉強を究めようとする学生もいた。このような学生はAIESECの中では少数派で、自分自身そのときまでは会ったことがなかった。「AIESECだけが大学生活ではない」こういった気付きが、自分に物事をもっと中立的に、そして視野を広く保つことの重要性を教えてくれた。



その結果、僕は以前よりも積極的にイベントに参加するようになっていったビジネスコンテストや講演会に積極的に応募した。まだまだ自分が知らない世界がある。その世界を少しづづ無くしていくことが目標になり、また新しい世界に触れることが楽しかった。

このようなイベントを調べる上で活用したのはTwitterだった。このツールを使えば、知らないうちに情報が向こうから入ってくる。これがソーシャルメディアに興味を持つようになったきっかけだった。この出会いが僕の人生を変えたのかもしれない、それくらいの影響を受けた。






また、そのツイッター上での出会いが僕をソーシャルメディアへ惹きつけることになる。それはFB Student Partners - エフエスピー -との出会いだった。以下説明文。

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Facebook Student Partnersは2010年11月末に設立された首都圏主要大学に通う大学生による大学生のためのFacebookの価値をを普及と活用を目指すプロジェクトチームです。主な活動はFacebookを軸とした各メディアでの情報発信、勉強会・講演会の開催、企業と連携した学生向け就職活動イベントや交流会の開催です。我々はこれらの活動を通して、学生がFacebookの理解と活用により、質の高い情報をシェアし、オープンで豊かな繋がりの構築を支援します。
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twitterの影響でソーシャルメディア全般に興味を持ち始めていた自分は、当然のことながら世界で5億人以上(当時、今は7億人を突破しているそう)が使っているfacebookにも興味をもっていた。また、FSPのイベント開催に伴うメンバー募集の告知文を見る直前に以下のムービーを見ていたことも影響していた。

「よく分からないけれど、なんか可能性を感じる。」ただそれだけだった。

その頃は、「一年だからって上級生には負けたくない」気持ちが強くなり始めた時期だった。(今や年上だろうと年下だろうと誰にも負けたくないと思うようになった笑)また、新しい環境に身を投じることにはもはやためらいを感じなくなっていた。だから、当然一人で応募した。意外にも一年生は僕一人だった。

AIESECはどちらかというと1・2年生が主体となって運営されている団体だ。三年以降は就活やらなんやらで事業に集中できなくなることが一つの要因だった。ただFSPは違った。主体となるのは3年生。あとは2年生が2〜3人と自分。しかもその上級生の経歴が凄かった。ローランド・ベルガー内定者やらマッキンゼーなど4社内定もらっている人やらビジコンに優勝してシリコンバレーに行く人やら…その大半が既に内定を一つは取っているという状態だった。僕の持っていた常識が一つ崩れた。内定は3年の冬にでも貰える人はもらえる。こんなふうに常識が崩れる瞬間が好きだった。

そのように優秀な上級生ばかりに囲まれている中でもがくことは、辛くありながらも楽しかった。AIESECでは同年代から刺激を受けることが多かったが、FSPでは上級生から多くの刺激を受けた。そして、同級生から刺激を受けることとの決定的な違いは「先輩の生き方を越える、という目標を立てられること」だった。

FSPのメンバーとしてFacebook Student Career Forumの運営に携わった。イベントは大成功だった。一時Twitterのトレンドにこのイベントのハッシュタグが載ったほどだ。出演者の方や参加した企業の人からもアンケートで高い評価を受けた。そのような数的評価に頼らずとも、僕はtwitterでイベントに関する評価を知ることができた。大満足だった。

そして、その後打ち上げが行われた。その打ち上げが僕の感じていたものすべてを固めた。

Twitter / @Takeaki Tsutsumi: これがイノベーションの生まれる部屋か。眠くならない。 ..

本当に眠くならなかった。

その打ち上げは六本木にあるメンバーの一人が起業した仲間と一緒に使っている部屋だった。ワンルーム。どこかソーシャル・ネットワーク で見た光景を思い出させるような部屋だった。僕はこの映画が大好きだった。フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)という本もむさぼるようにして読んでいた。僕は完全にfacebookの虜だった。

全員が全員アツく語っていた。その話題はただ一つ。

「ITには可能性がある」

ただ、それだけだ。実際その場には18歳の時に数十億でアプリを企業にバイアウトし、今は起業して「映画を作る」という夢のためにひたすら努力している人がいた。それがその論を後押ししていた。実際、その考えを否定する人はいなかった。

「ネットは無料で全世界に公開されている」
「ネットによって、僕たちは今直ぐにでもあらゆるサービスやアプリを全世界に向けて公開することができる」

それだけで十分だった。インターネットをうまく使えば社会にインパクトを与えられる、すなわち社会を変えられる。そう思った。しかもそれを今すぐにでもできる。魅力的過ぎる。また、facebooktwitterが社会に与えた影響はそれらのツールを使って出会った自分たちが一番良く知っていたし、また良く感じていた。プログラミングを一年前にはじめ、今ではその起業した会社で戦力になっている人にも会った。この時に確信した。「プログラミングをやったら面白いことができる」僕の夢のパーツが集まりつつあった。


FSPの繋がりでfacebook Japanの社長である児玉 太郎さんや副社長である森岡 康一さん([twitter:@morioka51])とfacebook Japanオフィスで議論をしたり、孫正義さんの講演会でITの未来に関する孫さんのアツい講演を聞いたりもしたけれど、それに関してはまた今度。ちょっと長くなり始めてるので割愛。

では本題。僕の夢について。


「人のために大きなことができる人間になりたい」


これが僕の夢。こんな大人になりたい。ただそれだけ。

この夢に最も影響を与えたのは、言うまでもなく今回の東日本大震災だった。「これまでの2週間、これからの2年間、そして将来【東日本大震災】」でも書いたように、僕は今回の震災で「自分の非力さ」をとても感じた。確かに募金もしたし、献血にも行ったし、被災地ボランティアで一週間石巻で活動したりもした。だけれども、結論として「本当に被災地の人の役に立っているのか?」は分からなかった。

この金網の向こうに見える地域に住んでいた人の為に、本当に役立つことができているのか?ずっと自分に問い続けた。そして、答えはいつも「ノー」だった。

何人かの有名人は違った。孫さんを筆頭に、ユニクロの社長の柳井さんやイチローなど多くの著名人が多額の義援金を送った。また、それだけでなく、実際に現地に足を運ぶことを行った人もいた。

僕は今自分ができる小さなことよりも、上記の著名人が行ったようなことができる人になりたいと思った。そちらのほうが被災者の力になると思った。また、そのような行動を起こすことによって民意を動かすこともできるはずだと思った。

また、日本の有事の際だけではなく、海外での災害時にも大きなことができる人間になりたいと思った。海外に向けても行動するためには世界的に有名な人間を目指したほうが得策かもしれない、そう思った。

そのためには大きなことを成し遂げる必要がある。そのためには何をすればいいのか?


そこで浮かんだのはITだった。自分自身の興味にも沿っていて、かつ社会に対してインパクトを与える可能性も秘めている。また、若いうちから成功できる可能性も大いにあった。

ただ、それは相応の努力をすればの話。プログラミングに関しては、若いうちから取り組んでいる人が多く、またその人達が勝ち残っていくイメージがあった。自分が本当に勝ち残っていけるのか?正直あまり自信はない。ただ、それと同時に諦める気もない。それに、失敗したならばまた別の方向で挑戦するまでだ。別に天才だけが勝ち残っていける世界ではない。挑戦することのない平和な人生よりも、僕は失敗を経ながら挑戦し続ける人生を歩みたい。そして、成功を掴みとりたい。

挑戦し続ける人生を歩みたいから、僕は日本的な企業には就職恐らく就職しない。もっと自由な空気を持っていて、かつ若い力を有効に使っていける企業、また社会の変化に柔軟についていける企業、そんな企業でまずはキャリアをスタートさせたい。起業するかどうかは正直分からない。自分は「起業してまで変えたい」という思いをまだ持っていないからだ。ただ将来は分からないけれど。

別のテーマとしては「楽しんで挑戦し続ける人生を送る」という目標もある。そのためには日本ではなく海外で生きたほうがいいのかもな…ともたまに思う。どうするかは不明。


だから、この目標を達成するために、自分は来年一年間休学してアメリカに行くつもりだ。西海岸、すなわちシリコンバレーに。ありとあらゆるIT系サービスが生まれている場所。世界中から集まった本当に優秀な起業家たちが凌ぎを削る場所。そんな場所で、「学生」というある意味まだ失敗が許される時代に一度働いてみたい。そして、その空気を感じてみたい。そして、そのあとに人生をどう生きて行くかを決めたいと思っている。専門化する3年生になる前に。幸い自分は海外インターンシップを運営している団体に所属している。確かにTOEIC900以上必要だとか、プログラミングスキルが必須だとか障害は多いけれど、僕はこのような目標を立てることにした。目標を立てなければ努力することはできない。高ければ高い山ほど燃える。

また、それだけでなく、スタンフォードのサマープログラムに参加する計画も立てている。優秀な同年代の学生と繋がれるのも今の特権。これを使っておきたい。できるだけ早いうちに。意味が分からないくらい優秀な学生と会って、自分の未熟さを痛感しておきたい。それが今後のエネルギーになるはず。

結果として、留学と海外インターンシップを同時に行う、という結論になった。やりたいことは我慢せずにやってしまう方が自分には合ってる。前例はあまり無いけれど、それだからこそ面白い。自分で道を作るのは好きだ。敷かれたレールの上を進むのは嫌いだ。

そのために、今は英語の勉強(英語の新聞を毎日2記事以上読む+オーシャンズ13のセリフを覚える<今12回目くらい>)を中心にやっている。ただ、ネットに関してはあまり進んでいないのが現状。これではまずい!ということで、日本のITベンチャーでプログラミング修行をする予定。目標はHTMLからC++あたりまでの取得。全力出す。


また、この計画にはもう一つの隠れた目標がある。それは「『休学』という選択肢を広めることで、留学や海外インターンシップといった海外へ挑戦することを一般化する」ことだ。

自分が休学について考え始めたのは、AIESECでの海外インターンシップに参加しようと考え始めたときからだった。AIESECにはいくつかのインターンシップの形があるが(海外インターンシップポータル|NPO法人アイセック・ジャパン参照)、僕はビジネス系のインターンに参加したいと思っていた。ただ、このインターンシップに参加するためには「半年以上」の期間インターンできることが条件である場合が多かった。必然的に休学を考えることになった。

ただ、休学には問題点があった。それは「多くの私立大学が年間の学費の半額を休学費用として請求していること」だった。(明治の場合は今年度から変わり、通年で16万円になった<去年までは半額>。ただ、これでもまだ高い)そもそも色々な機会に挑戦するためにある休学制度なのに、なぜ学費を払わねばならないのか?日本の「大学時代は4年間」という凝り固まった考え方が透けて見えた。

そんなときに黒川清先生[twitter:@kiyoshikurokawa]の講演を聞いた。ズバリ「休学のススメ」。日本人学生は休学をもっと使って世界へと出ていき、若いうちから世界視点で物語を語れるようになれ!この言葉が自分の胸を打った。このような日本になって欲しいとも思った。ならばどうするべきか。



自分がロールモデルになり、その魅力を多くの人に伝えていければ、この現状は変わっていくのではないだろうか?



これならば自分にだってできる。それに僕は普通の学生だ。そんな僕でも挑戦できることを示せれば、何らかの励みになるかもしれない。

そのために、僕は上記のような目標を立てた。そしてさらに、色々なメディアの有効な使い方も探っている。twitterをはじめとして、facebookページやUstream、そしてニコニコ生放送。どうやればより多くの人にその良さを伝えられるか、そしてどうやればムーブメントを起こせるのか。自身のHPもアメリカ挑戦の広報媒体として必要なので作る予定だ。



やれるやれないに関わらず、挑戦したいと思ったことには挑戦していく。そして夢を叶える。


そういう気持ちでこれからも頑張って行こうと思う。


ちなみに「旗を立てる」というタイトルはイケダハヤトさん([twitter:@IHayato])の講演から。自分の思いを発露してみた。うまく書けていない部分も多いし、正直書き足りない部分があるけど、それは直接僕に聞いてください^^;

とりあえず、これからも努力していこう。


「僕はまだ何も成し遂げてはいない。未来へ。」


ノシ



【7/10追記】

実は計画が変わり、

明治を中退し、アメリカで奨学金がもらえる大学に留学→transferでカリフォルニアのスタンフォードかUCバークレーを目指す→シリコンバレーで就職→アメリカで起業?

というふうになりました。何故そうなったのか?について書いていこうかなと。

実はこの日記を書いた後、アメリカ・シリコンバレーの優良ベンチャーとして有名なQuoraのデザイナーである日本人の上杉周作さん(@chibicode)から直接多くのアドバイスを頂きました。偶然この記事を読んでくれたそう。去る7/8にSFCにて講演をしていた方です。(それについては以下のリンクが参考になるかなと→Togetter - 「2011.07.08 Quora Inc. 上杉周作さん講演@SFC」 上杉周作氏の慶応湘南キャンパスでの講演「もしデザイナー2ヶ月半の若者がデザインの話をしたら」 - djmapetの日記 実名Q&AサイトQuoraデザイナーの講演「もしデザイナー歴2ヶ月半の若者がデザインの話をしたら」 : ついけん)日本に多くの知り合いがいるところを見る限り、恐らく日本人で「何かをしてやろう!」という意思を持った人を積極的に応援している方なんだと思います。『それと、たけあき君みたいな目標を持ってる同い年くらいの人達ってたけあき君のまわりにどれくらいいるんでしょうか。』というコメントからも分かる。嬉しい限り!。゚(゚´Д`゚)゚。

その上杉さんからのアドバイスは、要約すると以下の通り。

・たとえば日本の学生の方がアメリカで就職する場合、アメリカ人や優秀な外国人の方と競争することになる。その場合どうやって自分を差別化するか、が重要になる。アメリカで就職するならば恐らく大企業かスタートアップになるが、大企業は採用にリスクを犯す必要がないから、どこの骨とも分からない人(つまりアメリカ大学トップ50に行かなかった人)は採用しない。スタートアップはリスクを犯して採用すると潰れるから、コネだけで採用する。そのコネは大学などで作られる。

また、

日本の大学→アメリカで就職する場合、日本で技術者か専門家で名を上げて、さらになんとかアメリカにコネがあること(教授を通してとか)、以外は難しい。殆どは日本の大学→アメリカの院に行き、アメリカの院の結果(日本は関係なしに)で採用が決まることが多い。

とのこと。つまり、日本の大学を卒業した後にアメリカ現地起業に就職するのは難しい。「日本で就職→アメリカでMBAアメリカ就職」か、もしくは「自分で起業→アメリカに乗り込む」ことぐらいしか現実的ではないそう。更にビザの問題もあるとのこと。

・殆どの人はこっちに来るのに一番苦労したのは何?と聞かれると「ビザ」と言う。アメリカの大学に行けばなんとかなるのだけれど、そうでない場合は弁護士を雇って物凄いトリッキーな方法でビザを取ってる人とかもいる。俺はビザじゃなくて永住権で住んでるのでそのことはよくわからないけれど、ビザのことについて色々調べてみればいいと思うよ。本当にビザは難しいらしい。

今留学をする際利用しようと考えているプログラム(アメリカ大学留学奨学金留学、アメリカ4年制大学へ奨学金を利用して大学留学)の説明会でも聞いたけれど、就労ビザの取得がかなり難しいらしいです…大学を卒業した後に一年間限定で働けるらしいけれど、それまで。あとは毎年ビザを更新していくしかない。そこで勧められたのが「永住権の取得」でした。これさえあれば働く上での障害がなくなる。

そして決め手は

日本の高校→アメリカの大学学部卒業でこっちで働いている人は結構多いです。それだけ差があります。

という言葉。

話を聞けば聞くほど「日本で働く意義」が分からなくなっていった。そもそも自分の目標は「人のために大きなことができる人間になる」こと。そのために最適なステージはシリコンバレーだと思っている。だからシリコンバレーで成功することが一つのゴールになっている。そこに至るまでの道筋の中で「日本で働いた経験」が持つ意味はなんだろう?僕には見つけられなかった。これから生きていく中で見つけられるのかもしれないけれど、とりあえず今はまだ。

学部を卒業したほうが就職できる可能性が高いのであれば、そちらを目指したほうがいいはず。そもそも明治に通っている意味も見いだせなくなってきている。自分の興味は「コンピューター」にあるのに、所属は「政治経済」。だが、日本で理転するのには障害が多すぎる(教科の問題など)。かつ、就職先は日本企業。アメリカの大学に入り直すのには、英語がとりあえず出来ればいい。あとは大学で死ぬほど勉強するだけ。

また、アメリカでは「単位互換制度」というものがあり、transferが活発に行われているというのを聞いたのも留学に前向きになった理由の一つ。オバマ大統領もそれほど有名でない大学にまずは入り、その後コロンビア大学編入。そして最終的にはハーバードに。最初の大学はあまり高望みしすぎず、まずまアメリカに慣れること。そして、その後にカリフォルニアへ飛べばオーケー。

まずはTOEFL80突破。よし。

There is a will, there is a way.


twitter:@tsutsumikan
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これまでの2週間、これからの2年間、そして将来【東日本大震災】

久しぶりに日記でも書こうと思います。堤です。with Mr.Children "To U"


タイトルを見ても分かる通り、東日本大震災を受けての内容になります。
今回の震災は、良い意味でも悪い意味でも、僕の人生のあり方を形成する一要因になるような出来事だった。

上の写真は、地震発生一時間後ツイッター上で見つけたもの。正直信じられなかった。震度5強という地震を初めて体験しただけでも十分ショックだったのに、この写真の意味を理解できるはずがなかった。



その当時、僕はNPO法人アイセック・ジャパン(AIESEC in Japan)の春期国内総会と呼ばれる合宿にイベント運営の一員として参加していた。アイセックという団体は、大学生の海外インターンシップインターンシップ を海外の企業で行うこと)を運営している、世界でも有数の規模を持つ学生団体。世界でいうと100カ国以上に事務局を持ち、東大京早慶をはじめとする国内24の大学に支部がある。これまでの説明でアイセックに興味を持ってもらえたのであれば、以下の新歓ムービーを見てもらえると良いかと思います。メンバーになりたい!と思ったのであれば、委員会一覧 | NPO法人アイセック・ジャパン(AIESEC in Japan)から各大学委員会のほうに問い合わせてもらえると幸いです。正直自分が来年度もアイセックに属しているか微妙なので^^;↓
YouTube - AIESEC ROADMAP #ENG

ーこの合宿は、来年度の各大学の執行部を構成するメンバーが、今年度の振り返りと来年度に向けた議論を交わす場。なので、各大学から5〜6人、それにプラスして、日本の24大学を統括する日本事務局(アイセックジャパン事務局)の今年度と次年度のメンバー50名ほど、それに加えて、僕のような運営メンバーが10名ほど、合わせて200名超のメンバーで行われる大規模な合宿だった。3.11は合宿2日目だった。印刷物が多く、準備に奔走していたのを覚えている。今年度の振り返りを行うためには、今年度の成果をまとめたレポートが必要になる。PDCAサイクル でいうチェックの作業。巨大な組織であるが故に、そのレポートは総計300枚(推計)にもなった。絶対に紙の無駄だ。用意した側の人間に言わせれば。


っと、そんな愚痴は置いておいて。3.11の予定はいつも通り滞り無く淡々と進むはずだった。今年度のレポートに関する質疑応答。来年度に向けた執行部へのトレーニング…僕の役割は、質疑応答の際にマイクを発言者に渡すマイクボーイだった。「腰が痛くなる、マジで辛い」と周りから言われ続け、かなり萎えていた。4時間(?)もやるのかよ…と思っていた。

そして、英語でのセッション中に地震が襲った。3 月 11 日午後 2 時 46 分。東京は震源からやや離れているので、もう少し遅かったかもしれない。

気づいたときはほんの小さな震えだった。後に「あれが初期微動だったのか」と気づくことになるのだが。それが体感で1分ほど続いた後に、本震がきた。これまでに感じたことの無い大きさ。自分の思い違いではない。建物が揺れている訳でもない。大地が震えているのだ。周りも、その異常性に気づいたらしく、部屋が騒然となった。「早く机の下に潜って!」という声が飛ぶ。「上からの落下物に気をつけて!」という声もする。一斉に机の下に潜る参加者達。出口を確保する事務局のメンバー達。後ろのほうでセッションを見ていた僕は、近くに机が無かったけれども天井からの落下物はなさそうだったので、そのままその場にしゃがんでいた。地震は1分ほど続いたように感じた。実際はもっと長かったかもしれない。正確なことなど分かりはしない。僕はただただ怯えていた。

仙台で震度7!?

このツイートを見たのは地震発生直後のことだった。MacWiMAXを持ちながら、一旦広場へ退避している最中だった。信じられなかった。マグニチュード8.4」という情報も直ぐに飛び込んできた。阪神淡路大震災のときであってもマグニチュード7レベルだというのは何となく覚えていたので、今回とんでもないことが起こっているのはパニック状態にあった自分でも容易に分かった。ちなみに、東京23区は震度5強だった。地震情報 - 2011年3月11日 14時46分 - 日本気象協会 tenki.jpを見ると、その地震がいかに大きかったかが、影響範囲の広範さからよくわかる。

その合宿には、今回大きな被害を受けた東北大学筑波大学からの参加者もいた。彼らは一様に不安そうな面持ちをしていた。だから、まず自分は何をすべきか考えた。「情報を収集すること」、これをするべきだと思った。できる限り早く正確な情報を。先に挙げた人たちだけでなく、周りの人全員が「今何が起こっているか」を知りたがっているように感じた。震える手を懸命に動かしながら、ツイッターと同時にradikoをつけて情報を収集しようとした。radikoは、今回の震災により有名になった感があるが、インターネット上でラジオを聴くことができるサイトだ。テレビもつけようとも思ったが、手段がなかった。ワンセグが見られる人はワンセグを見ていた。多くの人はツイッターで情報収集しようとしていた。

そして、そうしているうちに上の写真を目にすることになった。

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@masayukki:大津波警報って始めて聞いた!気をつけて下さい!RT @umeken 津波です。太平洋沿岸部の方、気をつけてください!RT @Atsu_4: 【超緊急】 これはやばい http://twitpic.com/48dhx6
posted at 15:51:45

                                                                                                                                                                                            • -

自分の知らないところでとんでもないことが起こっていた。僕は知りうる情報を伝えることで少しでも楽にしようと思いながら、仙台出身で同じ運営メンバーの一人に伝え続けた。正直あのときの行動が正しかったのかはわからない。いくら情報を仕入れても、悲惨な現状が浮き彫りになるだけだった。そんなことをしながらも、僕は震え続けていた。そして、そんな自分が悔しかった。






直後は確かこのような感じだった。その後にも色々と印象的な出来事がいくつかあった。一度整理しようと思う。このように少しでもまとめておくことが、震災を忘れそうになったとき、そして今後同様の災害が起こった場合に生きてくると信じて。(ちなみに、地震発生直後には阪神淡路大震災の経験者によるツイートが目立っていた)

【国内の動き】

【海外の動き】


RT @m_momose: BBCめっちゃ誉めてる。地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。その力や政府が試される。犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力がある。広島の原爆でも、日本人は丁寧な言葉遣いで助けを求めたと言う話がある。とか。
posted at 08:48:25


震災当日から翌日にかけての目立った動きはこんなところか。自分で調べられる限りだけれども。
あとは、自分が気になったサイトをいくつか。

3/12地震に関する写真ーMassive earthquake hits Japan - The Big Picture - Boston.com
YouTube - 【地震】じいさん「また再建しましょう」
3/13節電ポスター
CNN.co.jp:オペレーション「トモダチ」ー米先遣隊が日本に到着 救援活動支援が本格化
3/14自衛隊はこの3日間で一万六千人近く救助している!防衛省・自衛隊:平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震自衛隊の活動状況(17時00分現在)【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|東北関東大震災義援金を受け付けます
3/14の節電状況
3/14の福島原発の様子などーwww.digitalglobe.com/downloads/DG_Analysis_Japan_Daiichi_Reactor_March2011.pdf
3/15卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校
3/16【東日本大震災】常識を越えた自衛隊10万人“全軍”動員+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
3/17YouTube - ニュースの深層3/17(木)「福島原発事故 メディア報道のあり方」1/3
3/20【神対応】震災孤児はソフトバンク携帯が18歳まで無償「ドコモ携帯も孤児に代わりSBが支払い」(ガジェット通信) - livedoor ニュース
YouTube - 「15才の君へ」篇【60秒】(関西電力株式会社)CM
YouTube - Mr.Children to U
地震の影響範囲が一目で分かるJapan Quake Map
被災地の写真を11日から毎日更新ーPhotos of Japan After Earthquake and Tsunami - Photographs - NYTimes.com

こんなところです。もっと良いサイトなどあったら教えてください!





ここまでまとめながら、色々と思い返してみた。










今回の地震を受けて、自分が一番感じたのは「自分の非力さ」「日本人のすごさ」「世界の温かさ」だった。

まずは「自分の非力さ」について。これは、震災直後にも感じたし、被害状況が分かるにつれて「何かできることはないか」という気持ちになる中でも感じた。

僕は文系の人間だ。政治経済を専攻する文系の学生。最近幾度となく思うのは「文系は物事を直接的に解決し得ない」ということ。これは、フェイスブックツイッターなど社会を変えてしまうほどの力を持つソーシャルネットワークに興味を持つようになってから頻繁に感じるようになった。理系は自分の手で物を作り上げ、文系は人を使って世界を動かす。理系は自分の力ですべてを作り上げることが可能だ。例えば、今回の地震を受けて「絶対に決壊しない堤防を作りたい!」だとか「絶対に安全な原発を作りたい!」だとか「電気が無くても情報が手に入れられる手段を作りたい!」だとか「いつでも連絡を取ることのできる手段を作りたい!」などと思ったときに、理系の人間は自分の専門に関しては作り上げることが可能だ。自分の力で未来の被害を軽減することができる。対して、文系は「他の人がいて初めて成立する分野」だ。政治家は意思決定しかできない。従うかどうかはその国民次第だ。経済学者は経済について嘆くことしかできない。自分の力で経済を立て直すことはできない。ただ、それらが「必要ない」とは言わない。むしろ必要な人々だ。だが、「直接的に物事を変えられない」ために、非常に歯痒い思いをした。僕には津波を防ぐ手段を提供する力は無いし、将来的にも持つことは無い。ただ「堤防を作るべきだ!」と叫ぶことしかできない。

また、まだ「たかが大学生」にすぎないため、被災地の人々のためにできることは限られていた。すぐにでも飛んでいって人々の救出に協力したり、救援物資を送りたいと思った。だが、そんなことができる訳も無い。救援にあたることができる人は自衛隊のような訓練を受けた人だけであるし、救援物資を送るにはそれなりのノウハウと資金がいる。被災地の地理に詳しくもないし縁も無い僕にできることは「日本赤十字社義援金を送る」ことと「献血に行く」ことぐらいだ。それが非常に悔しかった。今の僕の力はこんなものだ。

だが、逆に考えてみた。自衛隊の人々は、人命救助や物資の提供はできても「日本経済の復活」には寄与できないだろう。「将来の日本を担う」ことはできないだろう。だが、僕にはこういったことに貢献できる可能性がある。「まだたかが大学生にすぎない」ということを逆に考えるのだ。確かにこれからの3・4年間は社会に対して大きなインパクトを与えることはできないだろう。だが、大学生であるうちに知識を蓄積し、様々な価値観に触れ、自分の世界を広げておけば、将来ある一分野について社会に大きく貢献できるかもしれない。確かに、これらは可能性にすぎない。だが、実現する可能性はある。

なので、僕は将来に向けて進むことにした。


そろそろ日常ツイートも復活しよう。将来に向けてそろそろ動きださないと。ただ、被災地のことは忘れないようにする。今お金がないので(汗)短期のバイトで稼いだあとにファミマで赤十字に募金する。重要な情報はRTする。ヤシマ作戦も継続する。とりあえず、震災だらけの日常から抜け出す。
posted at 21:49:11 3/11
これが僕の答えだ。「今できぬなら、将来のために努力すべし」

次に「日本人のすごさ」と「世界の温かさ」についてだ。これについては、上でも挙げた[prayforjapan.jp] 地震発生後、インターネットに投稿された心温まるつぶやきというサイトを見てもらえれば分かると思う。地震直後からの心温まるエピソードは枚挙にいとまがない。日本人を悲観的にとらえていた自分は正直かなりびっくりした。ここまで他人を思いやることができるのか。また、世界の人々の動きにも涙した。特に、国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する。」というツイートを見た時には涙が止まらなかった。これまで、僕は日本が行う海外支援について否定的な人間だった。国内にも多くの問題が山積しているにもかかわらず、世界での体面を保つためだけに支援を行っているように思っていたからだ。だが、このように大災害に教われた際に善意がかえってくることに感動した。世界は自分が思っていたほど冷たい存在ではなかった。世界は日本を見捨てなかった。日本は世界の一員だった。

だが、ここで一つ思った。「自分は他国が災害に襲われたときに真剣に考えていただろうか?」と。僕は、上記にもあるように、どちらかというと自国主義的な人間だ。発展途上国支援や災害時支援について否定的な人間。「こんな考えではだめだ!」と思った。自分のことばかり考えては生きていけない。もっと人に尽くすことの素晴らしさに目を向けなければならない。

そういう意味でも、自己中心的だった自分を変える大きなきっかけとなった地震だった。今回の経験が僕の将来を少なからず変えたはずだ。もちろん、良い方向に。いや、良い方向に変わったと思えるように生きていく。これが、僕のこれからの生き方。



最後に、被災地の方々、皆様に明るい未来が訪れんことを切に願っております。
被災地で活躍されている自衛隊やボランティアの方々、福島第一原発など危険な地域で活動されている方々、皆様の努力が報われんことを祈っております。
そして、僕はそのために、小さなものかもしれませんが、精一杯努力していこうと思います。

【レビュー】ソーシャルネットーワーク

というわけで、これから話題になるであろう映画ソーシャルネットワークの試写会に行ってきました!^^


会場は神保町にある「一ツ橋ホール」。正直ボロッちい建物だったので、これは失敗したか…まあタダだしな…、とか思いつつ突入。中は意外としっかりしてて一安心。イスが映画館に劣るのは仕方ない。ただ、最後のほうは腰が痛くなって辛かった^^;


また、音響も映画館ほどではなかった…サラウンドではなく、まさかのステレオ音響(画面からしか音が聞こえない)だったのががっかり。普段映画は川崎の109シネマズでしか見ないので、DTS/SRD-EX/DLPの音響にばかり慣れていたために最初は違和感があった。(この書き方合ってるのかな…)実は僕結構映画にこだわりがあって、yahooで映画を検索するときも、必ず映画館の評価と座席・音響スペックは調べるようにしてる。レビュー☆3ギリのところは止めたほうがいいな、とか。ちなみに109シネマズは3.77。


と、設備には不満があったものの、多少の講演(シリコンバレーで仕事してた日本人と日経エンタテイメント編集長との対話形式)があった後に本編スタート。




<以下、若干ネタバレが含まれるかも知れないので注意!>



全体的に言えるのは、「脚本・演出が素晴らしい」ということ。脚本・演出ともに、ザッカーバーグの半生という元々面白い題材をいかにその面白さを失わずに表現するか、という点に注意して作られたからか、全体の構成から出来事の表現方法からリアリティの追求からジョークの面白さまで、すべてが最高レベルだった。演出の素晴らしさは、「告白」の映画版を見たときの感覚に似ていた。原作の内容の良さを消さずに、どうやったら良さが伝わるのか、を隅々まで追求されている感じ。あそこまで再現してくれたら筆者も満足だろうな、というレベル。映像化することの良さを余すところ無く使い切っているというレベル。


まず、最初のシーンで完全に惹き込まれた。
ザッカーバーグの性格、そしてfacebook立ち上げのきっかけが分かるシーン。ただの言い争いなんだけど、話し方と話す内容でザッカーバーグの性格のすべてを表現しつくしている。変人っぷりがよく分かる。それに、英語早すぎ(汗)ただ、これも「頭の良い(=頭の回転が早い)人は早く喋る」ということを上手く表現してた。回転速くないと議論でも喝破されちゃうしね…だから、自分はブログで文字にして発信することしかできないのです。頭の回転が早くないので。


そのあとに、ハーバード大学の中でのザッカーバーグの寮でのシーン。ここで完全に魅了された。プログラミングスキル凄すぎる。facemashを一瞬で作ったとかホントかよ…。そして、その相方的存在のエドゥアルドのなんとか理論の解説(名前忘れた汗)も圧巻。他のルームメイトもすごい。というか、すべてに圧倒された。こんな大学にいたら毎日刺激だらけで楽しすぎるよなあ…なんてぼんやり思ったり。うん、将来一回は行ってみたいな。留学でも何でも。

と、ここまでで完全に惹きこまれていたので、あとのところも飽きることなく見続けらてた。テンポが良かったのも飽きなかった一つの要因。早口のザッカーバーグの台詞と、裁判(?)中の場面と過去の場面とを行き来するという構成が素晴らしかった。BGMのチョイスも絶妙。これも演出の評価点の一つ。


あとのシーンに関しては割愛。これ以上書くにはネタバレが必要だわ…。


とりあえず、アントレプレナー志望の人は見たほうがいい。ザッカーバーグの特異性を存分に見せてくれる。こんな人しか成功できないのか?と多少思ってしまうけど。「こんな人もいる」ということを知ることができるだけで大きい。自分は別にアントレプレナー志望じゃないけど、プログラミングに今まで以上に興味を持った。面白そうだから、ちょくちょく勉強してみようかな。



いや、映画は自分の知らない世界を見せてくれる点が素晴らしい!やっぱり。今回も、知らない世界を知ることができた。さてさて、次は今日買った(本来1/17発売だけど、先行販売してた)facebook本でも読みますかー^^


…うん、ネタバレをしないと書けないorz早くみんな見てください!語りましょうこの映画について!^^


ではでは〜ノシ

行く年来る年〜浪人時代篇〜

どうも^^
…いつも書き始めに困ってしまう(汗)まあ、無難に挨拶から入るのが一番だよね!きっと!(笑)

というわけで、新年になってしまったということですし、去年の振り返りから今年の抱負、そして来年以降への意気込みを含めて色々と書きなぐろうかと思います。とりあえず可視化するのが目的なので、読みにくいかと思いますが、悪しからず。そもそも、ブログなんて自分の思考を整理するためにあるようなものなので、まあ大丈夫かな…^^;

とりあえず、去年の振り返りからさらっといきます。(追記)さらっといけませんでした(笑)浪人時代篇なので、エンターテイメント性低し。


【2010年】


ターニングポイントは二つ。

  1. 受験失敗
  2. アイセックとの出会い


だと思う。これで人生が変わったのは間違いない。この二つと交わることがなかったときの自分の人生を想像できない。一人の人間に対して人生は一つきりなことはわかっているけど、考えてしまうと恐ろしい。それくらい大きな変化だった。




まずは受験の失敗に関して。これまでに一回も浪人生活について総括してこなかったので、やや長め。




高校時代の同級生なら殆どの人が知っていることだけど、高校時代はほんとにだめ人間だった。どれくらいだめかって、授業中は寝てるわ、テストは赤点だらけだわ、通知表は常に5段階評価だわ(普通は10段階評価)、週に2・3回カラオケに行くわ(ヒトカラも含む)、高3の受験期にゲーセンで一回500円のゲームに没頭するわ(投資金額推定30万円)、自習室に席だけ確保して塾の隣のブックオフで延々と立ち読みするわ、家では…おっと、誰か来たようだ。


と、書いてる自分自身もびっくりするほどのだめっぷり。まあ、これが自分の本性なんでしょう。負荷を与えられなければ何もしない人間。これが今の自分にも受け継がれているので、時々恐ろしくなる。このままではニートまっしぐらなのではないか…と、こう思うことも一種の負荷(プレッシャー)なので、最近はそこそこうまくいってるんですけどね。ふぅ…


ただ、このままじゃいけない!という気持ちもどこかにあったんだと思う。浪人時代に入り一大決心。「合格するまで現世を離れる!」つまり、合格するまであらゆる娯楽や友人からの誘いに応じない、ということ。これは、過去18年生きてきた経験からすると、到底不可能な目標にしか思えなかった。


でも、これが意外とうまくいった。その要因の一つは日記でした。




買ったのは、志望校を決め勉強し始めた時だから…3月の中旬か。ホントに基礎からできてなかったので、最初は青チャートの基礎の基礎とオバマ演説集の延々リピートから始めたっけ。懐かしい。そのおかげで、オバマの勝利演説と就任演説の内容は今でも頭に大体入ってます。速単上級編も3月の間だけで300回は音読したと思う。その時はそこそこ発音が上手だったのに…今は…orz


で、そのころに日記を買った。最初は無印の安物(600円くらい、サイズ小)だった。でも、サイズが小さすぎて一日の勉強の記録をできないというアクシデント発生(笑)一年通して使うわけだし…ということで、急遽渋谷のロフトまで行き、5000円くらいの大きめな日記を購入。(上写真)これが今まで残っているとは、購入当初は思わなかった。というか、毎日書き続けるとも思わなかった。それくらい、一つのことに打ち込めない人間だったので。




というわけで、僕の浪人生活が始まりました。決めていたことは一つ。「合格するまで勉強以外何もしない」まさかこの目標を達成できるとは…過去の自分の精神力に驚き。


友人からの誘いは断り続け(模試の後は話してたかもな…)、毎日朝8:45には河合に到着し、授業では自分の指定席である右前二列目を確保し、自習室に行くときは一番奥かつ角の最高の席を確保し(両脇から挟まれることがないのでウルトラ集中できる)、昼食は一人で食べ、閉室時間五分前まで粘る。フェロー(大学院生が小論などを見てくれるシステム)にはいっちばん先に並び(2限終了直後)、毎回予約してた。自習室に関しては、どのタイミングでいけばどこの席が取れる、くらいはもはや頭の中に入ってた。受付の人のバイトのシフトまで把握済み。12時と17時に入れ替わるんだよな…しかも、夏NLのHOCをやってたHIの人がバイトしてたことを夏NLの飲み会で知る。顔と名前を完璧に覚えられていたようです。そういえば、警備員のおっちゃんも顔を覚えてくれたらしく、自分に対してだけ「頑張ってるね」と声をかけてくれた。もちろん休日も夏休みもクリスマスも三が日も休みなく行った。休んだのは、元旦と食中毒にかかった1日くらい…いや、これはたぶん嘘だな。うん。


友人は作らなかった。いや、二・三人はできたっけ。ただ、自分からは作らないようにしてた。周りのレベルが自分より数段高いことはわかってたし、第一友人とふにゃふにゃやってたらどこにも受からないことはよくわかってた。同じクラスのやつらは、毎日AKBの話をわらわらしながら(ここでAKBの名前を覚えた気がする)文一A判定出すようなのばっかりだったし…。自分は現役で全落ちだったし。


一番伸びた教科は(というか、全部200%以上の伸び率だったけど)世界史だった。というか、高校時代に世界史を諦めた自分は、大航海時代以降の300年くらしか知らなかったので(汗)夏休みで後期のテキスト(1200年代以降)をすべて独学でやったのはいい思い出。ナビゲーターと東京書籍と河合テキストと用語集と電子辞書のすべてを活用して、細かい知識まで全部マインドマップにまとめた。(以下写真)



夏休みが終わる前10日間で一日12時間以上を投入して書き続けたのはやばかった。他の教科に手が回らなかった。ただ、世界史が死ぬほど楽しいと感じたのもまたこのときだった。過去を知れば知るほど、人間って変わらないなあ…と思った。人間なんて所詮こんなもんさ。徒然草を原文ですべて読みきったときにも思ったけど。歴史の流れ自体はこのときにある程度覚えてしまったっけ…そして、このときの欠片が今も生きている。全盛期の1%以下しか知識量はないけど。


地味に今も生きている、と思えるのは小論文の添削。いや、これ以上に現代文の授業がすばらしかった。難しい文章を大量に読んだことはもちろんだけど、それ以上に「問題の解き方」を知ることができたのは大きかった。ただの小手先だけのテクニックではない。いや、確かにテクニックだけど、その裏に隠れている「何を読み取れるようになるのか」が重要だった。「テクニック」という言葉だけで「頭の働きを妨げることになる」と拒否すべきではない。テクニックを多く持つことに越したことはない。問題は、テクニックの「表面」だけではなく、その本質まで知り使いこなすことができるかどうか。


話を戻して。僕は「問題の解き方」を知ることで「文章を読む上でどこが重要なのか」に気づくことができた。そして、その部分を正確に捉えられるようになった。比喩に関する持論ができたのもその頃。文章を書く上で最も重要な能力は「比喩を的確に使えるかどうか」。これが、一流と二流とを判断する基準になる。


そして、読む上で重要な部分を知ったことで、書く上での「つぼ」を押さえられるようになった。これが大きい。大学のレポートを書く際も、Twitterでつぶやく際も、板書を作る際も。これの効果は計り知れないです。実際。最近「書くのがうまい」と言われることがあるけど、その基礎力は間違いなくこの時期に形成されたもの。物事を伝えるうえで文章力は欠かすことのできない、という持論ができあがったのもこれのお陰。


学部の選択で役に立ったのは地理と政治経済。あと、国語に関連して心理学や文学にも興味を持ったっけ。


地理は高校時代から唯一好きかつ得意な教科だった。元々世界地図は頭の中にある程度入っていたし(日韓W杯で出場国を調べてたら自然と入ってた)、転勤族であることや小4でマレーシアに行った経験などもあり、多彩な文化に興味を持ってたんだと思う。現にマレーシアには今でも興味がある。クアラルンプールはいい町だったなあ…。マレーシアに華僑とインド系が多いこともこのとき知った。また、一万円で贅沢できた(車ぐらいなら当時買えた。自分はお菓子を買ってばかりだったけど)ことや、水道水を飲んではいけないという経験は、国家間の格差に興味を持つ原点だったのかもな、と今更ながら思う。しっかし、福岡市の援助金が出るからって、4泊5日で3万は安かった(航空費込み)。うちの公立小のみ30人の募集で、120人の中から選ばれたときに、教室に駆け込んで黒板の前で「(デジモン風に)俺は選ばれし子供だ!!!」って叫んだのが懐かしい。まっ、海外と言っても英語で話すことはなく、ふつーに日本語で生活してた。外国語の場合、むしろマレー語でしゃべってた覚えが。いや、挨拶くらいだけどね。「スラマッパギ」って挨拶だったよね?^^;


あー、海外に行くならマレーシアだな!行きたくなってきた!ASEANの中でもタイと並んで工業発展している国だし、海は綺麗だし、なにより懐かしい!あの時は向こうの学生と手紙のやり取りしてたな…うう、今も続けておくんだった(涙)


…という国に関する知識を得たのは高校の地理だった。工業発展に関してとか、ルックイーストとブミプトラとか、油やしにナツメグとか。大学で「もっと深く勉強したい!」と思うには十分なくらい。あとは、貿易戦略。日本のFTA締結国でなぜシンガポールが最初だったのか?とか、メキシコとFTAを結んだ本当のわけ、とか、韓国の積極的なFTA戦略、とかを学ぶうちにのめり込んでいった。裏の考えを知ることは、僕にとっては麻薬のような存在だった。なんか、知ってはいけないものを知ってしまうとわくわくする感じに似てる。あいつとあいつが付き合ってる、ということを自分一人だけ知ってしまったときと同じように。国際政治(というか、外交戦略?)に興味を持ったのはこの知識のお陰。そのせいで国際貿易をテーマにゼミの論文を書くことにしてしまい、かなり後悔してるんですけどね(汗)一年の自分がやるにはあまりに知識が足らず、また答えがないので論文を書くことが難しかった。ホントどうしよう…まあいっか。


数学には、好きになったわりに振られ続けた。センターでは9割取れたけど、私立に落ちたのは間違いなく数学のせい。政経受かりたかったな…受かる気満々だった。そして落ちた。確か2点。よく聞く話。自分の身に起こるまでは「自分はそうならない」と思ってた。これもよく聞く話。


思い入れが強い教科はこれまでに挙げたやつかな…世界史・地理・現代文。古文・漢文も好きだった。一週間くらいで徒然草の原文と源氏物語のすべて読んだ。村上春樹との出会いも浪人時代だった。ノルウェイの森。英語版をそろそろ読み始めようかしら。


…と、勉強面に関して良かった点を挙げてみた。ただ、ホントに勉強しかやっていなかったので、精神的にくるときが何回もあった。リアルな話…をしようかと思ったけど、あまりにも生々しいのでやめよう…。


でも、精神的に追い込まれているからこそ、いいことを書いていたことに読み返して気づいた。自分を鼓舞することで自分を保とうとしてた。なんか矛盾している気もするが、こういうことです。


ちなみに、たまに小説を書いている僕ですが、そのアイデアはこの浪人時代の絶不調期に生まれたものだったりする。死ぬほど自分を追い込めば、なんかしら生まれるらしい。


大抵は「体調に気をつけて」とか「結果がでなくても焦るな」(第一志望はB判が一回出ただけで、後はC判<150〜200点くらい>だったため)とか「今日から切り替え」とか。そんな中で自分的に興味深いものがあったので、書き出してみる。


これは、クリスマス時期の日記。記録をつける部分まで侵食しながら書いてあった。そういえば、クリスマスに初めて数学で60/80取れて歓喜した覚えが。ただ、自習室に俺を含め10人くらい(MAX120人)+周りがカップルだらけ(横浜という土地柄)だったために異常な孤独感に襲われ、とりあえず横浜から撤退したっけ。懐かしい。


ではでは、内容。

辛くなってきたときこそ、受かった後のことを考える。
何がやりたいのか、何のために勉強しているのかを考える。


僕は何のために勉強しているのか…。頭がいいと言われたいからかもしれない。将来いい会社に就職したいからかもしれない。


でも、そんなことじゃない。
僕は、まだ出会ったことのない「本当に尊敬できる人」出会いたいんだと思う。


今年、僕は嫌というほど「環境の力」を感じてきた。
雰囲気が変わると自分の力も高められる。


そして、僕の限界を知りたい。限界まで高めてみたい。自分の可能性の限界を知りたい。


そのために、僕は今努力をしているんだ。


確かに、と今読み直しても思う。今まで「本当に尊敬できる人」、つまり自分の人生までも変えてしまいうる人物、に出会ってことがない。また、「環境の力」の凄さもこの時期を通して知った。だからこそ、AIESECという今の自分には能力的に相応しくないところに背伸びして入った。様々なイベントにも積極的に参加するよう心がけた。何故か?環境の力が大きいと信じているからだ。常に背伸びし続けること、これが自分を高める一番の方法だからだ。


この一年(2010年)を通して、一年前の自分よりも成長したことを確信している。自信を持って言える。だから、自分の可能性について悲観したことはない。限界も感じたことはない。たとえ「自分には向かない」と感じたことであっても、「自分の良さを活かせば新たなバリューを発揮できるはずだ」と考えやってきた。そして、来年も挑戦する。まだ見ぬ限界を求めて。


…と、なんか終わりのような雰囲気になってしまったけど、まだまだ書き足りないのでいくぜええ。


二つ目は、センター一週間前で最強にカオスってた時期。「センターで9割ないと二次に出願しない」ということを決めたものの、どうやっても9割越えずに焦ってた。


ではでは。今回のは長いです。丸々2ページ使ってるし。


やる気がでない理由を考えてみる。

  1. どーせ受からないと思っている
  2. 勉強なんてメンドクセと思っている
  3. センター試験の勉強なんてつまらん、2次をやりたい、と思っている


1と2が強そうだな…
でも、結果が出なければ、今年一年のイミが無くなる。だって、勉強以外になにも人生にプラスになることしてないし。
センターだって、一年前と較べたらすごい伸びてるし、古文・現代文もセンターのおかげで読めるようになってきた。地理もいい基礎知識確認になってる。政経や地学は息抜きになるし、英語だって簡単で楽しい。数学も、暗算のスピードが上がってきた。


…<結局は自分を変えられるかどうかにかかっている。


元々やらなくてもいいことだから、本能的な拒絶反応があるわけだ。周りの誘惑だってそう。だいたいはラクなほうに誘惑されるもんだ。だって、辛いことはみんなやりたがらないわけだし。


でも、大人として自立するとそうはいかない。


仕事を逃げたら生きていけない。悪い言い方かもしれないが、派遣村にいる人の半分以上はそんな人なんだと思う。まず派遣であることがおかしい。それぞれに理由があるとは思うが、その中の一つは絶対に勉強不足だ。


今の資本主義社会の中では、「使える」人間が雇われていくものだ。それば必然的なものだ。確かに、自分に何かしらの才能がある、あるいは1つの物事に昔から打ち込んできたのならばそれで生きればいい。


だが、僕は違う。何も成し遂げてはいないし、継続してきたものはない。だからこそ、この一年の自分を「結果」を得ることで認めてやりたい。人は「結果より努力」というが、僕にはとてもそうは思えない。そんなことをいうのは結果を出したことがない者、もしくはそういうことはその人のためになると思っている人


僕は反対の立場だ。「結果」というゴールがあるからこそ「努力」はできるのであって、そこでは「結果」が「目標」になっている。目標は達成されることに意味があるのであり、それ以外には意味がない。


ただし、「結果」が成し遂げられなかったときにそれまでの自分を振り返ることには意味があると思う。必ず、それまでの努力で得たもの、もしくは成長した部分はあるものだ。しかし、それを得られる者は「結果」という目標へ全力で突き進んだ者だけであり、最初から「努力」を良しとする者ではないはずだ。


だからこそ、今は「努力」という「経過」を省みることなく、「結果」という「目標」へ向かい、より一層の「努力」をしたい。それが、今の自分を認められる唯一の方法だから。そして、最終的に「合格」という栄冠を勝ち取る。別に、その後のことなんて後で考えればいいじゃないか。まあ、結構考えてたりするが。(笑)


…ここまで書いてきて思ったこと。

  1. 自信を持って「これだけはやった」というものがないのは僕のコンプレックスだった
  2. 僕には勉強しかない


ということ。だって、音楽の才能があるとは思えないし、運動は苦手だ。


でも、勉強は幼稚園の公文に始まり小中高とやってきたわけで、まあこれしかないってことか。ずっとやってきたことは。いや、青高時代はビミョーですが(笑)


今まではある程度周りから指示されて、悪く言えば強制されて、勉強してきたわけだけど、大学ではそうはいかない…そう考えるとより一層の自立心を養う必要があるみたいで…いやあ、不安だ(^ω^;)


でも、そういうイミで、やっぱり大学って大人への架け橋なんだよな…そして、最後にして最大の学問機関。これまでは、嫌いだった美術(笑)やら家庭科(笑)やらやらされてきたわけですが、これからは違う。自分の意思で、自分のやりたい科目を選択できる。これは重要なことでもあり、なおかつ恐いものでもあるわけで。学部選択の時点である程度決まってしまうわけだし。


そういう意味でも、やっぱり東大は魅力的な大学だと思う。入学時に個々の専門を決定させず、2年間も考える期間を与えてくれるわけで。最初から法や経済だけに特化したくない、自分の可能性を探してみたい、そう思っている僕にとっては最高の大学。ICUもそのようなシステムらしいけど、学費高いし(笑)


…うーん、こんなことつれづれなるままに書いてる暇なんてないじゃないか!よし!勉強するぞ!`(`ω´!)´


→自己統制力(人が立ち向かうべき)
→勉強はすべてではない
→大学で人々は大いに成長する可能性もあれば、堕落する可能性もある。


「ここまで書いてきて〜」は、当時の僕が書いたもの。すべてそのまま転記したので、文法的におかしいところや、最後に意味のわからない言葉がついていたりしますが、悪しからず。


「結果」というゴールがあるからこそ「努力」はできるのであって、そこでは「結果」が「目標」になっている目標は達成されることに意味があるのであり、それ以外には意味がない。


一番好きな部分。今もこうだと思っているし、こうある必要がある。


今の自分の考え方の原点はやはり浪人時代だったか、と改めて思った。うん。もう書くことはない、というか書けない。さすがに疲れてきた…


上に挙げたようなことは、勉強に対してモチベが下がる度にやってた。何故勉強をしなければならないのか?何故大学に行くのか?は、何百回も考えた。だからこそ、大学入学後に違和感があった。主に現役の人だが、勉強の意味・大学を考えずにただ入学し日々を「消化」しているようにしか思えないのだ。そんなことをしているから、マスゴミを賑わす「就活が厳しいのは大学の教育が充実してないからだ」とか人のせいにしかできない人間にしかならないのだと思う。自分はこうはなりたくない。


話を戻して。センター本番。はい、86%でした(たしか)。なので、第一志望の出願を諦め、くそみたいな国立に出願し、センター利用の結果をぼんやりと眺めてた。もはや勉強に対するやる気は起きなかった。目標が目の前から飛び去ったために、どこへ向かうか以前にその場にへたれこんでしまったのだ。唯一行ってもいいと思っていた私大の勉強だけは全盛期の20%くらいの感じでやったけど、あと2点で不合格。国立なんて、試験を受けに行ったのかすら危うい。もはや覚えていない。過去問も直前に目を通したくらいだったし。


というわけで、僕はめでたくセンター利用で受かってた明治大学に入学することになったわけです。…悔しくて死にそうだったけど。人生最大の挫折。間違いなく。


ただ、この浪人時代に培った能力が大学一年で活きてくるわけです。明治に入っていなければ無かったような出会いがたくさんあり、多くの成長をもたらしてくれた。だからこそ、今回あえて辛い結果となった「浪人時代」を振り返ったわけだ。


特に、AIESECには明治に入っていなければ出会っていなかった。これが一番大きい。もし出会っていなかったら、今センター試験の追い込み勉強をしていたかもしれない。


というわけで、次回(いつになるかは不明、できるだけ早く書きます!汗)はAIESECを中心に大学一年生活を振り返ろうと思いまする。今回に負けず劣らずながーい文章を(多分)書くのでお楽しみに!


ではーノシ

自己紹介


3/23更新!


・経歴

某都立高校→一浪→明治大学政治経済学部一年(2011/3月現在)


・活動

   FSP (Facebook Student Partner)
   http://www.facebook.com/fb.student.partners

   AIESEC in Japan
   http://www.aiesec.jp/


イベントへの参加経歴

>Facebook Student Partners : 2/11 Facebook Student Career Forum運営, Facebook Japanオフィスで社長・副社長と議論

>AIESEC EIC,夏NLDS 冬NLDS,春期国内総会(共に参加),その他イベント(チャイナ新歓とか飲み会とか)

>その他 one for all 1114,TRIGGER2010(観覧),TNKアカデミア,2/21孫正義講演会


・目標

?物事を考える時に双方の立場から考察するようにする

?何事にも目標を掲げて取り組む

?自分の考えを他人に言うことで他人の考え方を引き出し、お互いに高め合える人間関係を多く構築する

?努力を惜しまず、人の期待値を超える人間になる

?社会人と見られるくらいの礼儀・作法を身につける

?自分を認めてもらうために、まず自分が相手を認めるようにする

?組織に安住する人間にならない

?課題を見つける洞察力と、新たなアイデアを発見する発想力を磨く

?理想を達成するために、まずは"今"何をすべきかを考えるようにする

?失敗したときは、まず自分の行動について反省する


詳しくはツイッターのプロフィールを見てもらえればと思います
→[twitter:@tsutsumikan]

ではでは(`・ω・´)ノシ